ゆるりとは

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白洲ゆるりプロフィール

宮城県出身。A型。

好きなもの アイス

特技 フル外注化

   ベッドに入って3秒で寝ることとどこでも寝られること

弱点 お腹が弱い

落ち着きのない幼少時代

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子供の頃は根っからやんちゃで、よく通信簿には落ち着きがないと書かれていましたw

住んでいた地域は子供でたくさんあふれている新興住宅地。

いつも10人以上の近所の子供達で集まって、野球やったり、サッカーやったり朝から晩まで外で遊んで過ごしていました。昭和な子供です笑

よくドラえもんのかみなりさんの家みたいに、近所の家の盆栽を割ったりしてよく怒られてましたw

特技やエピソード見てるとかなりのび太的ですねw

高校まではひたすらスポーツ

子供の頃は水泳、習字を結構真面目にやっていました。

両方10年やっていたので、コースはすべて達成できるところまでやっていました。

その後漫画の影響でサッカーを始めたくて、結構遠くまで越境。

サッカーは本当に大好きで、小学校はクラブチーム、中学高校は部活に入ってやっていました。

当時はイングランドのゲイリーリネカーというスマートな選手がいて、とても好きでしたね。

たぶん中学の頃はサッカーをやらなかった休みの日は、年間1〜2日くらい。

部活も体育系で鬼厳しくて、よく先生とか先輩とかからスパイクとかで蹴られるような鬼部活でした。

めちゃくちゃ暑い日とか吐きながらやってましたしw

別にその時はなんともなかったですけど、今考えたらやばい部活ですねw

大学時代は映画とバイトと旅

学生時代は映画が好きで映画を作ってました。

映画見る→撮影→バイト→飲みに行く→映画見る→・・・のエンドレスな生活をしていました。

家にはいつもレンタルビデオが山積みになっていて、年に映画を300本くらい見ていました。

あとはそれまで、部活とかで行動範囲が狭かったり抑圧されていたりしていたギャップで、

バイトを3つくらい掛け持ちしながら、バイクで日本一周に行ったりしていました。

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47都道府県制覇して、海外も30カ国くらい回ってますが、英語は苦手ですw

初めての会社員は新規事業をやらせてくれる会社

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就職時には、新入社員で新しいことができるベンチャー的な会社を探していました。

今考えるとその頃日本経済が停滞していた時期なので、経費の削減が非常に大事な時期だったんですよね。

いろいろな形で企業のコスト削減を提案する会社が、第二創業期で新規事業をやりたい人を採用していて入社しました。

この頃の仕事で企業から外注化を受けて、組み立てて経費を削減して、データ化して、更に改善を重ねるような仕事だったので、今のフル外注化の基礎になるようなものが、出来たんだと思います。

新規事業はすぐにはやらせてもらえなかったでのすが、入社して数年。

ようやく立ち上げた部署の業界特化型の事業部が、3年くらいやったところでかなり軌道に乗り始めて、その会社の新しい柱になったことと、その分野のことが分かるのがゆるりしかいなかったため、29歳の時に会社役員になりました。

100人もいない会社でしたが、平均年齢が50代の役員の中で、一人20代だったので認められたこともあり、仕事が楽しくてしょうがなかったです。部下も50人くらいいました。

しかし時間が経つにつれてやっかみも出てきて、特に年上の人との軋轢も生じていて、仕事のやり方にも悩んでいました。

いろんなストレスで毎日胃が痛かった日々を過ごしてました。

必要に迫られて人との関係性などについて学び始めたのもこの頃です。

小学校の時の同級生の死

そんなある日、同級生から突然連絡が来ます。

『小学校の同級生のI、がんらしい』

小学校の時家が近かったせいで、遊んでいたこともあったIくん。

その頃彼は宮城にいて、結婚して子供出来て、新しい家も建て家業も継いでいました。

現実離れしたその話を聞きながら、入院している病院へお見舞いに。

中学卒業以来だったので、15年近くぶりの再開でした。

見たのは面影はありながら、骨と皮のやせた状態になったIくん。

まだ30代になったばかりだったので、本当にショックでした。

突然行ったので、ほんの数分しか面会しかできなかったのですが、

久しぶりに会えたことをIくんは本当に喜んでくれました。

その時のことを彼が更新していたブログに

『小学校の時の友人のゆるりがお見舞いにきてくれて、最近あったことで一番うれしかった。

病気をなおさなきゃなー』

と書いていてくれました。

それを見て喜んでもらえたことのうれしさと、何でこんな目にあわなきゃいけないんだという悔しさ。

そしてその1ヶ月後Iくんは、残念ながら亡くなりました。

数ヶ月前までは元気に仕事をしていたとのことだったので、本当にショックでした。

 

またこの頃よくかわいがってもらっていた取引先の会社の40代の社長や、

これまたかわいがってくれていた親戚など、周りの人が立て続けに亡くなったこともあり、

そのことでも結構ショックを受けていました。

2011年の2月のことです。

東日本大震災

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そしてその1ヶ月後、東日本大震災が起きます。

ゆるりは当日も東京で相変わらず働いていました。

東北には家族や、親戚が住んでいました。沿岸にも弟や親戚が住んでいました。

震災直後から連絡がなかなかとれなかったのですが、5日目に安否確認も含めて、妻と2人で車で食料を持って東北の家族の元へ。

その時見た景色は一生忘れられないです。

1ヶ月前に帰って来ていて見た景色とまるで異なっていたあおの景色。

空襲の後のような、ものすごい光景とひっくり返っている車の燃える匂い。

日本の光景とは思えないだけではなく、自分の知っている光景が変わっていたことに本当衝撃を受けました。

また家族は無事だったのですが、沿岸地域にいる高齢の親戚が薬がないので東京に連れて行ってほしいということで、浸水した学校の2階を避難所にしていた、親戚を迎えにいきました。

道などなく、沿岸の浸水している地域の道を本当に帰れるのか不安になりながら必死に走り東京へ連れて帰ってきました。福島の原発が水素爆発するかもといわれていた時間に、ちょうど福島を走らなければいけない状況で、本当に怖い思いをしながら帰ってきました。

家族、親戚は全員無事ながら、やはり知っている同級生などで亡くなった人はいました。

直接的ではなくても、二次的三次的な被害でなくなった方もたくさんいました。

この震災はゆるりの人生で価値観を大きく変える出来事でした。

働き方、生き方への考え方が変わった

同級生やかわいがってくれていた方達の死、震災で変わり果てた地元の光景を見たことにより、『死』っていうのはいつ来てもおかしくないものだというリアリティを突きつけられ、働き方や生き方についてこのままでいいのか考えはじめました。

大事にしていたものが、あっという間に失われたり、命だっていつ終わるかわからないという事実。

頭ではわかっていましたが、ここまで突きつけられ考えたのは初めてでした。

その結果悩んで悩んで、10年間働いたアウトソーシング会社を退職。

その後マッキンゼーから経営コンサル会社を立ち上げた人の元で、復興行政コンサルとして働き始めます。

担当は福島。週の半分東京の官公庁、残り半分を福島の自治体の役所と仮設住宅の住民のところとグルグル回りながら、噴出してくる課題についてどう対応するか動き回っていました。

これまで人類が直面したことのない災害。

本当に福島の人たちの大変な現状を目のあたりにしました。

また若い人たちは、仕事のある場所へ移っていきますので、残された避難地域の高齢化はすさまじいものがありました。

まさに今後の日本の高齢化が数十年進むとこうなるという形です。

いろんな分野の日本社会のひずみと未来がここから見てとれました。

震災に関わりながら、個人的にもいままでの感覚でこれからの世の中は生きて行けないのを肌身で感じました。

そして自分のためにも家族のためにも、いろいろな分野で自衛していかなければと行動し始めました。

副業として選んだバイマは初めてのネットビジネス

その中の一つとして、経済的にはいくつかの収入源を持つ必要性があるなとリアルに感じてました。

それまで真面目に働いていたのに、すべてを取り上げられてしまってすべてを失った人を何人も見たからです。

それまでゆるりも本業でのみしか収入を得ていなかったので、本当に何から初めていいのかわかりませんでした。

副業しようという考えすら持っていませんでした。

最初に考えたのは不動産投資。

会社員だと融資も受けやすいですし、その頭金をためるのに薦められて物販を始めました。

いくつかのプラットフォームを検討したのですが、無在庫ででき、市場がこれから伸びそうなバイマからたまたま始めました。

しならく結果が出ないで苦しい時期もありましたが、不動産投資そっちのけではまってしまいました笑

今でもバイマから初めてよかったなと思います。

バイマは今までの経験からフル外注化ができた

バイマを始めてよかったなと思う一つは、自分のアウトソーシングの会社でプロとしてやっていた経験がそのまま使えたことです。

個人でも、作業を外注化して組織化することで、時間からも場所からも解放されてお金を稼ぐことが実感できました。

 

自分だけではなく、誰でもフル外注化はできる

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このフル外注化のスキルは、副業だけではなく実にいろんなことに使えます。

そして誰でもステップを踏んで行けばできます。

そしてこれが身につくと、いろいろなものから自由になれます。

ゆるりも最初は師匠のOさんから外注化を薦められてましたが、本業でやっていたにも関わらず外注化しませんでした。

でも外注化をしたことから、急にいろいろなことが動き始めこのことで自分も救われました。

なので、外注化については自分だけでなくたくさんの人に伝えていけたらと思っています。

日本人は寿命は世界トップクラスなのに、長生きしたくない

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今日本は世界でも寿命がトップクラスです。

でもいろんな人に何歳まで生きたいか話を聞くと、

『ぼけてまで迷惑かけたくないから、長生きしたくない』

『年金がもらえないのに、そんなに長生きしてもお金がないと思うので長生きしたくない』

長生きに対しての不安しかでてきません。

ベストセラー『LIFE SHIFT』によると、今の20歳の平均年齢は100歳を越えるそうです。

長生きしたくてもできない国がたくさんある中で、長生き出来てもしたくないという価値観。

それって社会としても個人としても不幸せだと思います。

人は幸せに生きるために生まれてきていると思います。

そして生きたくても生きれない人もいるということも忘れてはいけません。

ゆるりは同級生の死と震災との関わりの中でそれを実感しました。

なので、ゆるりはまず自分が

生きれば生きるほど豊かで幸せを感じられる生き方をして、

そしてそのような生き方ができるような社会作りに貢献することを使命と思っています。

 

生きれば生きるほど豊かで幸せを感じられるようにするためには、いろんな要素が必要です。

お金、時間、健康、人間関係etc 

何かひとつだけ突出してあってもだめで、人生はいろんな要素で出来ています。

その要素の一つとして個人としての稼ぎ力を高め、何かに依存して依存先がなくなることを恐れないで生きて行くことができることをまず伝えていきたいです。

会社がどうなるかわからないというのは、どの人にとっても身近な危険としてありますが、国だっていつ破綻するかわかりません。

東日本大震災のように、今までの生活すべてを失うような災害や戦争、テロなどに巻き込まれるかもしれません。

でもそれを怖がるのではなく、そういったことがある可能性を前提に準備をすることが必要な時代になっています。

一緒にいろんな束縛から解放されるよう、生きれば生きるほど豊かで幸せを感じられる生き方をともにしていけたらと思っています^^

 

おまけ

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趣味のジェラート、アイスの食べ歩いたのは3000種類^^

ジェラート屋さんでバイトをしていたこともあります。

最近はテレビやラジオなどにも出演する機会もあります^^

好きなのはラムレーズン。ソルベ系も大好きです^^